ショートコント「焼肉」
(ものすごく幸先不安なタイトルを付けてしまった…………)
焼肉で思い出すことを書けばいいんですよね?と虚空に呟きながらスマホ片手に打ち込んでいるわけですが、
私の外食における焼肉デビューは小学生のときだったと思う。多分ね。
まだ出されたものを「あー」と言いながら食べていた頃の延長線みたいな生き物だったので、「焼肉行くわよ」と言われても「ほー」と返事して車に飛び乗った。
ごちそう。つまりこのファビュラスな言葉の意味を理解できないでいたわけである。なんということでしょう、あの時の肉を今食べてやりたい。
話は変わるけども、私は末っ子だ。
そのため、昔から姉から母から父からめちゃめちゃ世話を焼かれていた。
焼肉屋に着いた私は母に白いナプキンで首を締められた。いやいや、前掛けだと分からなかったので本当に何が始まったのかと思ったの本当に。
「服に油が飛ぶから」と教えられて、服に油が飛ぶのか……と思いながら肉が届くのを待っていた。
問題はそこからだった。
そこからはもう、怒涛の展開だった。
塩タンが届いて、私の母は手際よく金網に塩タンを敷きつめ始めた。いわば塩タンテトリスである。ハラミやカルビなど色々届く中、秒で焼きあがったタンを「タンは舌の部位なのよ」と教えられながら皿にのせられた。
かよわい私は「うしさんの舌……」と、悲しむことはなかった。何故か。出されたものを「あー」と言いながら食べていた頃の延長線みたいな生き物だったからである。
目の前の皿にのせられた肉を見て思うことは
「肉。」
ただそれだけだ。無情すぎんか。
じゅうじゅう焼けた塩タンを私は口の中に放り込む。お味のほどは、
「……アチ!!!!!!」
舌に付けた一瞬でぺっと肉を皿に戻す。
そう、熱かった。味とかなかった。めちゃめちゃ熱かった。
その時、学校の給食で五目うどんが出た時も「アチ!!!」と言ったなぁと思い出した。先生にフーフーしなさいって言われたわ。そうそう。私はフーフーした。アチ!!フーフーフーフー!アチ!!!
多分それを10回くらいやってようやく食べることが出来た。やれやれ。
しおたん、うまい。タベモノ。
そんな感じで次の肉へ取り掛かろうとして顔を上げ、私は絶句した。
私の取り皿にはもう何枚もの肉塊が積まれていたのだ………………
いや、肉塊だけではない。(肉塊って言い方どうにかならんかな)野菜とかなんかめっちゃ積まれてた。横の母を見ると戦士のような顔をして金網を見つめ肉テトリスをしている。
はっ、ははうえ〜〜〜!!!
お待ちくだされ〜〜!!!
坊を置いて先に行かないでくだされ〜!!!
私は同志を見つけようと姉達を見たが、姉達は平気そうな顔をして肉を食べている。
ここで「頼れるものは自分だけ」「乗り遅れているのは私」ということを知った。
そこから私の焼肉フードファイトが始まった。
フーフーフーフー!フフーウ!フー!
パクッ!!!ムシャムシャッ!!!
(熱い!熱い!熱い!なんで!?
時間置いてるはずなのに!どうして!?)
そりゃそうである。
母が次々上に盛っているのに、私は上から肉を取っていたのだから…………
全ての肉が焼きたてジャパン。
初期に盛られた塩タンは「モォこりごりです(牛だけに)」という感じで潰れていた。
トウモロコシに齧り付く。
皮が歯の間に挟まる!!!
ア゛ーーーー!!!
その時、私のキャパシティが限界に達した。
ついにトウモロコシを食べながら泣き始めたのである。
「ウッ…………ウウッ………………」
それはもう静かに。どうでもいいが私は声を出さずに泣くタイプである。もちろん金網を睨んでいる母がそれに気づくわけもなく、向かいにいた姉がぎょっとした顔をして母に報告した。
母、びっくりする。
「あつい、あつい、」
「肉が」
「とうもころしが」
姉「トウモロコシな」
妹が泣いてるのに言葉の訂正を入れる姉。
私の発言に母は水を差し出しながら、
「大丈夫?ちょっと冷めてきたしこのクッパ食べる?」
と更に追い討ちをかけてきた。
しかも私はクッパが何たるかを知らなかった。私が知っているのはマリオの宿敵のクッパである。
クッパなんか食えるか!!!!!!
本気でそう思ったけど言葉にならず泣いた。
母がお汁多めにクッパを流し入れる。
「美味しい?」
「うん…………」
「クッパ食べれるんやったらここ置いとくな?」
「クッパ?」
「あんたが今食べたヤツ」
クッパーーーー!!!!!!!!!!!!!!!
お前こんなに美味かったんか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(えっでもこれお米やん?お肉っぽいのちょっと入ってるけどこれクッパなんかな!?!?マジで!?!?!?)
そんなわけで私は初めての焼肉で、
「肉は熱かったが、私はマリオに登場するクッパを食べた」という誇りを胸にして帰路についたのだった。
あれは(マリオの)クッパでは無いということを知るのは、もう少し先のことであった。